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エンタツ・アチャコの息子、ギャグのネタは?吉本初期の漫才師!

男性コンビ
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日本のしゃべくり漫才の元祖といえば、横山エンタツ・花菱アチャコさん。略して「エンタツ・アチャコ」と言われています。NHKの朝ドラでもとりあげられるほど、吉本初期の有名な漫才師さんです。エンタツさんの息子さんは吉本でも有名な方なんですよー。アチャコさんの有名なギャグネタは?ご紹介します。

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横山エンタツの息子は?

横山エンタツさんの次男は吉本新喜劇に所属した喜劇俳優の花紀京さんです。

エンタツさんのご子息でありながら、少年時代には笑芸には興味がなかったそうです。

中学時代まで、父親がエンタツであることを認識していなかったそうです。

父子で共演はしていないそうです。

ご長男は関西テレビの元プロデューサーで、奥様はなんと吉本新喜劇の美人女優、中山美保さんです。

花紀さんと新喜劇で何度も共演されてましたね。

当時は親戚関係でいらっしゃるってことを知らずにテレビを観てました。

私はエンタツさんの演芸をリアルに見ていないので、花紀京さんのお父さんと知った時、

あまりピンときませんでしたが、エンタツアチャコという名前は聞いたことがあったので、

あのエンタツさんの子供さんなのか!と驚きました。

吉本新喜劇での花紀京さんは目の下にクマを書いて、鼻の頭を赤く塗ったメイクで、

酔っぱらった人みたいでした。

服装はニット帽にシャツ、腹巻にニッカポッカを着用してる姿が印象的でした。

役名も「京三」って言ってましたが、今思えば本名だったんですね。

堂々とやり取りで笑わせる絶妙な間あいが素晴らしかった。

岡八朗さんと並んで、吉本新喜劇の全盛期を支えた二大巨頭と言われています。

本当に面白かった。

ビッグネームのお父さんの遺伝子を引き継いでらっしゃるのでしょうが、

ご自身の喜劇スタイルが確立されてました。

ドラマにも出演されてましたが、お笑いというより本格的な演技派でした。

インタビューでは笑かすというより、落ち着いた語りで答えてらっしゃる姿が

新喜劇の時と別人で印象的でした。

ご本人は落ち着いたタイプの方だったのかもしれませんね。

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ギャグのネタは?

テレビが家庭に普及しつつあった高度成長期の頃に、アチャコさんの

「滅茶苦茶でござりまするがなー」や「さいなもうー・・・」というギャグが

一世を風靡しました。エンタツさんは二本の指でちょび髭を抑えて、

「ハッハー、照れくさー!」が唯一のギャグだそうです。

お二人の漫才はしゃべり漫才の原点。

ギャグもそうかもしれませんね。

オール阪神巨人がエンタツアチャコさんの物まねをされて、それを観たことがあります。

エンタツさんはギャグよりしゃべりで笑かしたい。

今音声を聴くと、現代のお笑いは幅広くなったなーと思います。

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吉本初期の漫才師!

昭和の初めに、色もの万才のスタイルを止めて、背広を着て会話だけで漫才をしたのが

エンタツ・アチャコさんと言われています。

昭和5年にコンビ結成。

「きみ」「ぼく」という言葉を使い、日常的な話題で漫才をしました。

まだプロ野球がない頃、東京六大学野球が人々の注目を集めていました。

特に早慶戦が人気でした。

それを題材にして、野球を知ってる人と知らない人の会話に

ラジオ中継的な要素を取り入れた漫才の「早慶戦」が作られました。

和服を着て楽器や演芸がある万才と違って、観客から非難される時もあったそうですが、

NHKラジオやレコードによって日本中の人々に広まり、

やがてエンタツ・アチャコは全国的な人気を得ました。

昭和8年(1933年)吉本興業が、「漫才」という表記を始め、

翌年の新橋演舞場での興行を「特選爆笑漫才大会」としました。

アチャコさんの病気入院により、昭和9年で漫才コンビは解散しますが、

喜劇映画の共演は続きました。

昭和より以前の漫才ってしゃべりだけではなかったんですね。

私が見て育った漫才はまさに、背広を着て普段の会話から始まるしゃべくり漫才でした。

プロ野球もない頃に漫才はあったんですね。歴史が長いですね。

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エンタツ・アチャコのプロフィール

横山エンタツ

本名:石田正見(いしだまさみ)

生年月日:1896年(明治29年)4月26日

没年月日:1971年(昭和46年)3月21日(74歳没)

出身地:兵庫県有馬郡三田町横山

最終学歴:旧制兵庫県立伊丹中学校(今の兵庫県立伊丹高等学校)2年で退学

亭名の「横山」は出身地が由来。

「エンタツ」の由来は、当時エンタツさんの痩せた風貌が芸人仲間に「エンタツ」(煙突の訛り)と呼ばれたから。

前の「横山」の亭号を名乗る漫才師一門はエンタツを始祖とします。

相方:花菱アチャコ

立ち位置:左

芸風:漫才

所属事務所:吉本興業

花菱アチャコ

本名:藤木徳郎

生年月日:1897年(明治30年)7月10日

没年月日:1974年(昭和49年)7月25日(77歳没)

出身地:福井県勝山市

相方:横山エンタツ

立ち位置:右

所属事務所:吉本興業

亭号の「花菱」は家紋が由来。

「アチャコ」の由来は先輩役者からつけられた「アーチョン」が転じたとか、

まめな性格で「あちゃこちゃする」ところから名付けられたなど、諸説ある。

エンタツ・アチャコさんの事を調べて、子供の頃から

当たり前のように見ていた漫才の始まりを知りました。

今ほど自由ではない時代。

新しいことをするのって勇気もいるだろうなーと思いましたが、

台本作家の秋田実さんのアドバイスもあって、

今までと違うスタイルにチャレンジした結果、大ヒット!

できることなら、その時代に行って、生のお二人の漫才を観てみたかったです。

後世に名を残すエンタツ・アチャコさん!

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