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のりおよしお、漫才はつまらない?全盛期はギャグ連発。現在はどうしてる?

男性コンビ
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1981年アニメ映画化された漫画の「じゃりン子ちえ」。

大阪を舞台にした物語で、主人公竹本チエの父親、

竹本テツの声を担当したのが、のりおよしおの西川のりおさんです。

あのガラガラ声がテツ役にピッタリ!

その後1981年10月、1991年10月と二度にわたりテレビアニメ化され、

関西では高い視聴率となりました。

のりおよしおさんは当時フジテレビの人気の番組「オレたちひょうきん族」に

レギュラーで出演し、全国にその名を知られることとなりました。

あれから30年以上の月日が経ち、のりおよしおさんの現在や、

のりおよしおさんの師匠って誰ですか?という声にもお答えします。

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のりおよしおのプロフィール

芸名:西川のりお

本名:北村紀夫(きたむら のりお)

生年月日:1951年(昭和26年)5月12日 72歳

身長/体重:173cm /75kg

血液型:A型

出身地:奈良県吉野郡川上村生まれ、大阪市都島区育ち

立ち位置:左、ボケ担当

趣味:ニュース鑑賞、新聞購読、政治談義

入門:1970年 西川きよし

芸名:上方よしお

本名:松倉善弘(まつくら よしひろ)

生年月日:1952年(昭和27年)12月16日 71歳

身長/体重:166cm /50kg

血液型:B型

出身地:大阪府 守口市

立ち位置:右、ツッコミ担当

趣味:映画鑑賞、巨人応援

入門:1973年 上方柳次・柳太

のりおよしおさんは1975年にコンビを結成しています。

映画『ブルースブラザーズ』をイメージさせる黒いスーツ、ネクタイ、

靴、レイバンのサングラス、ソフト帽のいでたちで1980年初頭に起こった

漫才ブームの人気漫才師となりました。

フジテレビの人気番組「オレたちひょうきん族」に出演すると、

のりおさんの過激なキャラが人気になりましたが、

当時の吉本興業の会長が過激な芸を嫌っていたと言われています。

なんばグランド花月の出番がもらえず、またのりおさんの

単独行動が目立ったこともあって、1990年に一度解散しました。

のりおよしおの人気が下火になったことで、

のりおさん自身が出直しの意味を込めて、1994年に再結成しています。

確かに当時人気の映画『ブルースブラザーズ』の主人公を

イメージした格好で出てこられてましたね。

よしおさんの趣味が映画鑑賞のようなので、発案はよしおさんなのでしょうか?

よしおさんの刈り上げとオールバック風のヘアースタイルも

個性的で、印象に残っています。

テレビ「ひょうきん族」でののりおさんの芸風は、

下品な恰好をしてでも目立って笑いを取っていくところがあったので、

それが吉本の当時の会長に気に入られなかったのでしょうね。

解散して再結成してたとは知りませんでした。

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のりおよしおの師匠は誰?

のりおさんの師匠は西川きよしさんです。

友達と花月劇場に西川きよし・横山やすしさんを観に行った時、

面白半分でヤジを飛ばし、きよしさんに「なんや君!後で楽屋に来い」と言われて、

扱われたと思い、いい気になって、舞台の後の出待ちできよしさんを待っていたそうです。

のりおさんに気付いたきよしさんは「本気でヤジを飛ばすな」と怒りながら注意しているのに、

のりおさんは自分を意識してくれてると勘違いして意気揚々になっていたそうです。

この後もしばしばきよしさんの楽屋を訪れ、きよしさんに呆れられながらも

顔を覚えてもらったことに気をよくして入門しています。

本格的に弟子入りしてからは礼儀作法に厳しいきよし師匠に嫌気がさして、

「やめさしてもらいます!」と言って実家へ戻りました。

実家には弟子修行を辞めたことを言わずに、休暇をもらったと嘘をついていたそうです。

1年ほどきよし師匠の元を離れていた時、きよしさんから実家に電話があって、

のりおさんのご両親がきよしさんに挨拶と同時に土下座で謝罪をしに行ったそうです。

のりおさん自身は許されていませんが、後に許されるようになり、

弟子として戻ることができたそうです。

このことはご両親が亡くなられてから判明し、

その後も何度も破門になりながらも弟子修行を続け、

程なくして「西川」という屋号を与えられたそうです。

よしおさんの師匠は上方柳次・柳太さんです。

高校卒業と同時に入門しています。

また松竹芸能タレント養成所でも学んでいます。

目立ちたがり屋で自分に都合のいいように捉えるメンタルが

とてもタフなのりおさんらしいエピソードですね。

何か想像できますね(笑)

西川きよしさんは本当に誠実な人ですね。

他人であっても良くないことはちゃんと注意し、

「後で楽屋に来なさい」とまでおっしゃる。

のりおさんのご両親も謙虚で、のりおさんへの愛情に溢れた

昭和のお父さんお母さんって感じですね。

きよし師匠にのりおさんのご両親、どちらも人情を大事にされる温かい方々ですね。

のりおさんはお手本になるような大人に育まれていたんですね。

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のりおよしおのギャグは?

のりおさんは、今でも漫才やラジオ出演の折にギャグを使ってらっしゃいますが、

全盛期には本当にたくさんのギャグが生まれています。

・オーーメン!(アメリカのホラー映画のタイトルからではないかな?と推測)

・ホーーホケキョ!( THE MANZAIに初出演した際の出世ギャグ。)

・ツクツクボーシ!

・パッ! 天下ご免の向こう傷、パッ! 拙者早乙女、パッ! 主水之介!

(高橋英樹さんが演じていた時代劇。当時のりおさんは高橋英樹さんに似てると

思ってらっしゃたような気がします)

・ツッタカター!(俺たちひょうきん族生まれたギャグ。

ミッキーマウスマーチのリズムに由来)

・ラッタッター!

・奥さん、ええ仕事しまっせー

・ぼん、ぼんじゃございやせんかー(映画『無法松の一生』の主人公、松五郎のセリフ)

・まかせなさい!(元々は若いぼん・はやとのぼんが使い始めたギャク。

ただし、横山やすしや笑福亭鶴光も好んで、このギャグを使っていたので、

盗作では無く、競作とのこと)

昔流行っていた映画や、時代劇のセリフをギャグにして、

のりおさんの強い個性と大きなガラガラ声で勢いよく漫才に取り入れて、

観てる私たちもつい笑ってしまう感じでした。

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のりおよしおの現在は?

全盛期に比べるとめっきりテレビでお見かけすることが減っていますが、

今もお元気で、なんばグランド花月の舞台に2人で漫才出演されています。

「のりおよしお主義」と称して、吉本の人気漫才師たちと

一緒に地方での寄席公演も行っています。

のりおさんはABCラジオ「ますだおかだ増田のラジオハンター!」に

月1回程度「お笑いハンター」という肩書で出演されています。

最近では松本人志さんと文芸春秋の問題についてのインタビューで、

歯に衣着せぬご自身の意見を発言されていました。

それを聞いた人々からは「良識派」とか

「当たり前のことを当たり前に言える」などと高評価を受けています。

のりおさんは「若い時は周りが気になってカッコつけたくなる。

年齢が進んだ今は、平常心で自然体でいるようにしている」と

おっしゃっていたのが印象的でした。

自己一致が大切ですね。

 

 

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