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コント55号(wiki)は解散していない?不仲や面白くないのうわさを検証!

男性コンビ
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昭和の爆笑王と言えば、コント55号。

コント55号は不仲だったとか面白くない、のうわさって本当なの?

コント55号は萩本さんだけになられましたね。

コント55号って解散してる?とかしていない?とかのうわさも検証します。

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コント55号とは?坂上二郎と萩本欽一のコンビ、代表ギャグは?

コント55号(コントごじゅうごごう)とは1966年に結成された

萩本欽一(はぎもときんいち)と坂上二郎(さかがみじろう)のお笑いコンビです。

代表的なギャグは「なんで(どーして)そうなるの!」(萩本)や

「飛びます!飛びます!」(坂上)があります。

コント55号では坂上二郎がボケ、萩本欽一がツッコミを担当していました。

「飛びます飛びます」のギャグは当初あまり注目されていませんでした。

しかし1980年代になって片岡鶴太郎が坂上二郎のモノマネの中で

このギャグを取り入れたことで、世間に広まっていったそうです。

私が子供の頃から大人になるまでの間、長きにわたって一世を風靡したコンビです。

「欽ちゃん」、「二郎さん」の愛称で多くの国民に親しまれ、

お二人の躍動感あるコントはお茶の間を夢中にさせていたと思います。

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コント55号の名前の意味、由来は?

1966年、営業先のホテルで一人コントの「机」を考案した萩本さんが、

以前出演していた浅草松竹演芸場に売り込みをかけようと準備をしていたところ、

たまたま浅草フランス座時代に幕間コントで競演した坂上さんから電話があり、

この電話で坂上さんの助演が決定したそうです。

10月に浅草松竹演芸場の上席前座として「机」を演じたところ、

反応が今一つだったため、三日目に役を入れ替えました。それが好評を博し、

五日目には正式に看板に名前が載る事となりました。

二人にコンビ名を決めるように支配人が言うと、

「自分たちはすぐ解散する二人ですからコンビ名なんてつけません」と言い張るので

支配人が王貞治さんのホームラン数55本(当時の日本記録)から

「コント55号」と名付けられたそうです。

コンビ名の由来は知りませんでした。

王選手のホームラン記録から名付けられたと知り、

当時の王選手の影響力の大きさを改めて感じました。

すぐに解散するからと言ってコンビを組んでも、あれだけ有名になられて、

何が功を奏すか?わからないものですね。

一生懸命にコントを演じてこられたお二人の賜物ですね。

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コント55号の不仲のうわさは本当?

コントでは言い合うお二人でしたが、

萩本さんはコンビを組む時に、先輩たちが仲が悪いって聞いていたので、

仲が悪くならない一番良い方法は、「相手が分からないこと」だとして、二郎さんに食事もしない、会話もしない、日頃から個人的に付き合わないようにしようと提案されたそうです。

二郎さんもそれを受け入れたそうです。

お互いを深く知らなかったことがコンビとしても喧嘩することなくこれたそうです。

お仕事以外ではホントにお付き合いがなかったのかもしれませんね。

萩本さんは、50歳の時に一度だけ二郎さんを食事に誘ったことがあるそうで

坂上さんが亡くなる少し前に、坂上さんの奥様から、

「欽ちゃんと一度だけ食べた食事が楽しかったと二郎さんがずーーっと語ってたので、もう一度一緒にご飯を食べてほしい。そしたら二郎さんが元気になるかもしれないから」と言われたそうです。

本当は不仲ではないようですね。

真実はわかりませんが、不仲と言われる芸人さんって多いですよね。

売れてるときは家族よりも長い時間一緒にいることになるので、

いいところばかりじゃなくて悪いところも見えてきますよね。

それを察知して敢えて深く付き合わないと決めた欽ちゃんの判断が良かったのかもしれませんね。

嬉しそうに欽ちゃんと食事した二郎さんの笑顔が想像できます。

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コント55号は解散していない!

良くも悪くも一世を風靡し、時代の寵児となった彼らでしたが、

子供に見せたくない俗悪番組としてPTA、地婦連、そして主婦の投書などで槍玉に挙げられました。

さらに1970年以降視聴率が振るわず、人気の凋落ぶりが顕著になっていき、

以降はコント55号としての活動よりも単独での活動に重点を置くようになりました。

二人はそれぞれ、テレビ、ラジオ、映画と多方に渡り活躍しました。

萩本さんは世間が坂上さんを萩本さんの相棒ではなく、

一俳優として捉えていることを痛感しました。

更にコントで本気でいじめてると世間に思われてることにショックを受け、

コントを演じ続けられなくなったとして、

1975年以降はコンビとしての活動を大幅に自粛しました。

当人達はコント55号をコントコンビではなく

単体コメディアン同士のユニットと位置付けていました。

故にコンビとしての活動を控えても、解散宣言はしていませんでした。

2011年3月10日、坂上が脳梗塞により逝去したため、

コンビ活動に事実上ピリオドを打たれることとなりましたが、解散はしていないようです。

人気者になりすぎると、影響力が大きいので、

ノリで喜んで真似してしまう子供達が多く、私も家で真似してました。

確かにある時から坂上さんは俳優としてテレビで拝見することが多く、

人情派の刑事さん役とか、名優の域でした。

欽ちゃんはお笑いのプロデューサー的存在で、

素人さんや役者さんをコントに起用して大当たり。

後に「欽ちゃんファミリー」と言われるようになりましたね。

後年、大学に入学されたり、チャレンジ精神旺盛な欽ちゃん。

お元気なお姿をまた拝見したいですね。

 

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