朝の情報番組『ラビット』の司会と言えば、麒麟の川島さんです。
川島さんは田村さんと「麒麟」というお笑いコンビを組んでいます。
最近コンビで出てないなーとか、麒麟解散?気になるワードもありました。
麒麟は、実は解散していませんが、危機はあったそうです。
その理由や、田村さんの現在も含めて調べてみました。
麒麟wikiプロフィール
麒麟川島
本名:川島 明(かわしま あきら)
生年月日:1979年(昭和54年)2月3日
出身地:京都府宇治市
身長:179cm
体重:65㎏
血液型:AB型
ボケ(バラエティではツッコミ)・ネタ作り担当。
川島さんのご実家は有名な漬物屋さんです。
川島さんの詳しいプロフィールはこちらをお読みください。
麒麟田村
本名:田村 裕(たむら ひろし)
生年月日:1979年(昭和54年)9月3日
出身地:大阪府吹田市
身長:180cm
体重:70㎏
血液型:O型
ツッコミ(バラエティではボケ)担当。
田村さんは、バスケスクールを運営するほどの実力の持ち主です。
田村さんの詳しいプロフィールはこちらからお読みください。
1999年10月、NSC大阪校20期出身の同期としてコンビを結成しました。
NSC在学中に高校の先輩とコンビを組んでいた田村さんが解散することになり、
川島さんに声をかけてコンビ結成となりました。
コンビ名を「麒麟」と名付けた理由は、当時漢字だけのコンビ名が少なかったので、
難しい漢字を付けるとインパクトがあるのではないか?との思いからだそうです。
麒麟解散しない理由と2度の解散危機とは?
麒麟の川島さんと田村さん、解散危機は今までに2度あったそうです。
NSC在学中と卒業後だそうです。
川島さんがネタを作っても田村さんはちゃんと覚えられず、棒読みだったりで、
川島さんの不満が溜まっていき、ある日解散を伝えようとしたら、
田村さんに、「多分、俺じゃあかんよな?」って言われたそうです。
「多分、お前の才能とか活かしきれへんと思うから全然、解散やったら解散って言ってな」って
先に言われたそうです。
それを聞いた川島さんは「そんなことないよ」って言ったそうです。
なんかそう言われたら「そんなん別に思ったことないよ?」って言う感じになって、
結果的に解散危機を乗り越えられたそうです。
川島さんも田村さんも優しい人たちですね。
田村さんのネタのいい方は下手くそだったかもしれませんが、
人柄はどちらも良かったんでしょうね。
だから解散にならなかったんですね。
不仲では?と書かれてることがありますが、そんなことはないそうです。
田村さんの自叙伝、『ホームレス中学生』が爆発的に売れた頃、田村さんに仕事の
依頼が来ていても、川島さんと一緒に麒麟として、お仕事に行かれてたそうです。
川島さんはその頃面白くなかったかもしれません。
その後、田村さんのお仕事が減ってくると、川島さんはピンとしての活動が増えていきます。
川島さんは田村さんに声をかけることもなく、ピンのお仕事を続けていかれたそうです。
その頃田村さんは川島さんの悪口を周りにもらしていたそうです。
いよいよ収入が無くなりだした田村さんはバイトをしながらも
自分で覚悟を決めてお仕事をがんばってこられたそうです。
今となっては川島さんの対応がそれでよかった。
自分を強くさせたとおっしゃってます。
川島さんも田村さんも互いの浮き沈みを経験しながら、危機を乗り越えてこられたんですね。
時間をかけて、相手を信じて、いいところを見られるようになったんですね。
麒麟田村の現在
麒麟の田村さんと言えば、発行部数200万部超えの大ベストセラーとなった
自叙伝『ホームレス中学生』のヒットが思い出されます。
あれから約17年が経ちました。
現在は関西ローカルに複数のレギュラー番組を抱えながら、
数年前からバスケットボールに関わる仕事が増え、バスケットスクールも
複数運営するなど“バスケ芸人”としての地位を確立しています。
子供さんも3人いらっしゃるので、NHKの『ウワサの保護者会』という番組の
ゲストに呼んでもらった時に、育児法を褒められて、クラブハウスでも話をしたら
育児に悩んでいる参加者で泣き出す方もいらっしゃったりしたので、もしかしたら
これは自分の得意分野なのかもしれないと気づかれたそうです。
芸人としてはもちろんのこと、今後は夫婦や育児関連の講演にも興味があって、
自分のペースで頑張っていけたらと思ってらっしゃるそうです。
今やイクメンという言葉は普通になってきましたね。
普及率はまだまだ高くないのかもしれませんが、
田村さんのように有名できさくに感じられる方が
リアルな育児や夫婦の体験談を交えて語られるのは、
現役世代の方々に響くものがあるのでしょうね。
麒麟コンビで出ないが解散してない!
麒麟の川島さんと田村さんは、住まいが、東京と大阪と離れているので、
一緒に活動する機会が激減しているようです。
二人は最初大阪で活動していましたが、十数年前にコンビ揃って上京しています。
田村さんが結婚を機に、関西へ転居。
川島さんの番組に田村さんを呼ぶにも交通費や宿泊費がかかるので、
東京在住の芸人を使った方がテレビ局も好都合なのかもしれません。
今年1月、2人がコンビでテレビ番組の司会進行を務めるのは、
何と6年ぶりのことでした。
ネットニュースでも「ついに共演!!」と取り上げられるほどでした。
テレビ業界では“川島・田村不仲説”は常識だったらしく、
楽屋を別々にするなど勝手に気を使われていたのだそうです。
コンビで出ないわけではないということですね。
昨年10月に麒麟の二人は6年ぶりとなるトークライブを開催しました。
それを日テレのスタッフが見に行き、川島さんは田村さんと一緒にいても面白い
ということに気づき、麒麟で特番をやらせてほしいという依頼をして、
番組が実現したそうです。
長くコンビを続けるにはいろんなことがあるので、不仲になる時もありますよね。
でもそこを乗り越えて、お互いの活動を尊重しながら、コンビでも仕事をするって
以前よりいい関係性ができあがってるんでしょうね。
互いの仲も深まるのかもしれませんね。
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